1日17時間という圧倒的な勉強量をこなし、東京大学理科二類・医学部健康総合科学科に合格した藤本万梨乃さん。「東大医学部卒なのに医師免許がない?」といった気になる疑問の真相から、過酷な受験生活を支えた勉強法やノート術までをわかりやすく解説します。さらに、フジテレビアナウンサーとしての活躍や挫折の乗り越え方、結婚・退職を経てフリーランスとなった最新の活動まで網羅してお届けします。
東大合格を引き寄せた藤本万梨乃の凄すぎる勉強法
1日17時間の猛勉強!1年間の浪人生活を乗り越えた精神力
高校卒業後、1年間の浪人生活を経て東京大学理科二類に見事合格を果たした藤本万梨乃さん。受験生時代、長い日には「1日17時間」もの猛勉強を重ね、自らを限界まで追い込む壮絶な日々を過ごしました。
10代の頃の藤本さんは「何ひとつ自信を持てるものがない」という意外なコンプレックスを抱えており、自分を変えるために打ち込んだのが勉強でした。ただ時間をかけるだけでなく、最後まで諦めずに努力し切ったこの経験は、単に東大に合格したという事実以上に「自分は努力することができる人間なんだ」という大きな自己肯定感と自信に繋がったと語っています。
“東大生のノート術”!頭の中を整理する方眼ノートの活用法
藤本万梨乃さんの学びや取材準備を支えていたのが、頭の中をすっきりと整理整頓する独自のノート術です。学生時代から知識を整理しながらノートにまとめることが好きで、新聞の切り抜きを貼ったり、情報を手書きで丁寧にまとめたりして理解を深めていました。
アナウンサーとして北京五輪の取材キャスターを担当した際にも、モチベーションを高めるために「黒い革の表紙」がついたノートを購入。一般的な罫線タイプではなく「方眼タイプ」のノートを選ぶことで、文字や図を自由なレイアウトで視覚的に整理し、自分なりの情報マップを作り上げていました。頭の中を整理整頓しながら知識を定着させ、本番で自信を持って臨むためのノート作りは、受験生や社会人にとっても非常に役立つ実践的なテクニックです。

なぜ東大を目指したのか?意外なコンプレックスと志望のきっかけ
高校1年での運命の出会い!東大教授の講演VTRが転機に
藤本万梨乃さんが東京大学を目指す最初のきっかけとなったのは、高校1年生の時に訪れた運命的な出会いでした。当時、お嬢様学校として知られる福岡雙葉高校(小中高一貫の女子校)に通っていた藤本さんは、学校行事で東大教授の講演VTRを観賞する機会に恵まれます。
そのVTRに強い影響を受け、「東大に行きたい」という目標を抱くようになりました。しかし、当時の学校には東大を受験する同級生が一人もいない環境であり、周りに志望者がいない孤独な状況から一から受験を決意して突き進むこととなりました。
「自分に自信をつけるため」勉強に打ち込んだ10代の葛藤
華やかな経歴を持つ藤本さんですが、10代の頃は「何ひとつ自信を持てることがない自分を乗り越えたい」「引っ込み思案な自分を変えたい」という意外なコンプレックスを抱えていました。
通っていた女子校の同級生には、自分を堂々と表現できる人や、どんどん前に出ていける人がおり、そうした周囲の姿に「カッコいいな」と強い憧れを抱いていたそうです。自分にも自信を持てるものが何かないかと模索した結果、「自分に少しだけ自信が持てそうなのが勉強だった」と気づき、一念発起して東大合格という高い目標へ挑む大きな原動力となりました。

「東大医学部卒」なのに医師免許がない理由とアナウンサー転身の謎
医学部「健康総合科学科」とは?医師免許がない意外な理由
「東大医学部卒業」という華やかな肩書を持つ藤本万梨乃さんですが、実は医師免許を所持していません。その理由は、医師を養成する6年制の「医学科」ではなく、4年制の「健康総合科学科」に進学・卒業したためです。医師国家試験の受験資格は医学部医学科の卒業が必要条件となるため、医師免許を取得することができません。
健康総合科学科を選んだ理由について、建前としては「心理学や予防医学など、人がどうやって健康でいられるかに興味があった」と明かしています。一方で本音としては、理科二類から進学先を決める際「臨床の場で血液などを見ることに苦手意識があったため、医師を目指す理科三類を避けた」という素直なエピソードも語られています。
受験中の息抜きからアナウンサーへ!メディアを志したきっかけ
藤本さんがメディアの世界に興味を持った原点は、辛い浪人時代の受験勉強中に息抜きとして観ていたバラエティ番組でした。東大に入学した当初はテレビ好きが高じて「バラエティ番組の制作(制作者側)をやりたい」と考えていました。
しかし大学時代に『non-no』の読者モデルや『AbemaNews』の学生キャスターとして活動する中で、自らテレビに出演する楽しさや魅力を知るようになります。コンプレックスを抱えていた自分がメディアに出演する体験を通して自信を深め、「大学で学んだ健康や予防医学に関する知識を、メディアを通して分かりやすく発信したい」という思いが芽生えたことが、アナウンサー試験へ挑戦する大きな転機となりました。

フジテレビアナウンサー時代の活躍と失敗から得た学び
『めざましテレビ』や『さんまのお笑い向上委員会』での成長
2019年にフジテレビへ入社した藤本万梨乃さんは、入社1年目から看板番組『めざましテレビ』のフィールドキャスターに抜擢され、アナウンサーとしての基礎や取材の現場力を育んできました。自身も「めざましテレビは育ての親」と語るほど、共演者やスタッフとの絆を深めながら情報キャスターとして一歩ずつ着実な成長を遂げていきます。
また、明石家さんまさんがMCを務める『さんまのお笑い向上委員会』のアシスタントにも就任。お笑い芸人たちが繰り広げる高度なアドリブ合戦の現場において、ただ笑って座っているのではなく、「さんまさんの意識が向いている方向に常に自分も意識を向ける」ことを徹底していました。スタジオ全体の空気や流れを捉えながら「常に頭をフル回転させて臨んでいた」経験が、どのような現場でも対応できる柔軟な進行力を養う大きな糧となりました。
『Mr.サンデー』での挫折と母親からの力強いアドバイス
2023年7月からは日曜夜の大型情報番組『Mr.サンデー』のメインキャスターに就任しますが、就任早々に大きな壁にぶつかります。生放送中、MCの宮根誠司さんから「このニュースについてどう思う?」と意見を求められた際、伝えたい気持ちが先走り、発言がだらだらと長くなってしまったのです。放送後の反省会でスタッフから改善を指摘され、「視聴者に分かりやすく簡潔に伝える難しさ」に直面した藤本さんは深く落ち込んでしまいました。
そんな緊張と失敗への恐怖に悩んでいた藤本さんを救ったのは、母親からの「ビビっているからじゃないの?ビビらない方がいいわよ」という力強いひとことでした。この言葉で「失敗する未来をあらかじめ想像して怯えるのをやめよう」と吹っ切れ、肩の力を抜いて自然体でカメラの前に立つ意識へと変化します。準備を徹底したうえで恐れずに挑むポジティブな姿勢へと切り替えた結果、共演する宮根さんからも信頼を寄せられるようになり、アナウンサーとして一皮むける大きな転機となりました。

結婚・フジテレビ退職・フリーアナウンサーとしての現在の活動
同級生ドクターとの結婚とフジテレビ退職の決断
2025年8月26日、担当していた『めざましテレビ』の生放送番組内で結婚を発表した藤本万梨乃さん。気になるお相手は、東京大学時代の同級生であるドクター(医師)であることが明かされ、共演者や視聴者から大きな祝福を受けました。
その後、約6年9ヶ月にわたり在籍したフジテレビを2025年12月31日をもって退職することを発表しました。退職にあたっては「これからは、家庭生活と自分自身の時間を大切にしながら、私らしく仕事にも取り組んでまいります」とコメントを寄せており、家庭と仕事の両立を目指す前向きな決断であったことがうかがえます。
JME所属とフリーアナウンサーとしての新たな挑戦
フジテレビ退職後、2026年6月1日より芸能事務所「ジャパン・ミュージックエンターテインメント(JME)」へ所属し、フリーアナウンサーとしての活動をスタートさせました。自身のSNSでは「アナウンサーとしてこれまで経験してきたことを大切にしながら、新しいことにも果敢に挑戦し、成長していけたらと思っています」と新たな道への強い意気込みを綴っています。
フリー転身後の注目の活動として、動画メディア「文藝春秋PLUS」の新番組『2050–この国の宿題』でMCを担当。人口減少や食料危機といった日本の未来課題に向き合う番組で進行を務めるなど、東大で培った知性と局アナ時代の現場経験を生かし、新しい分野へ精力的に挑戦を続けています。

まとめ:藤本万梨乃の努力から学ぶ目標達成のヒント
藤本万梨乃さんの歩みを振り返ると、根底にあるのは「コンプレックスを乗り越えたい」という強い思いと、それを形にする圧倒的な実行力です。1日17時間もの猛勉強をやり切って東大合格を果たした経験は、彼女に「自分は努力ができる人間だ」という揺るぎない自信を与えました。
アナウンサーとして壁にぶつかった時も、徹底した準備と「失敗する未来を恐れずに挑む」マインドへと切り替えることで試練を克服してきました。結婚や退職を経てフリーランスとなった現在も挑戦を止めない藤本さんの姿は、目標を達成したい受験生や、新しいキャリアに挑む社会人にとっても大きな勇気とヒントを与えてくれます。
