伊達花彩のKAHYA’S STYLE

タレント

あの宮世琉弥の妹、伊達花彩だてかあや

兄は若手俳優!人気上昇中アイドルの投稿に反響「やっぱり遺伝子最強すぎる」

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KAHYA’S PROFILE

伊達 花彩(だてかあや)
愛称 「かーや」「伊達神」「かあやさん」
本名 亀井花彩
生年月日 2005年3月21日(20)25.4.3時点
出身地 宮城県石巻市、宮城県 石巻市
2011年(本人5歳時)東日本大震災で流され隣の東松島市(いとこの家)に移って家族6人で暮らす
血液型 A型
身長 162 cm
所属グループ いぎなり東北産(2015年 ~ )
活動期間 2015年 ~
著名な家族 宮世琉弥(みやせりゅうび 兄)
家族構成 両親、兄、妹2人の6人家族
事務所 スターダストプロモーション仙台営業所
主な出演作 アイカツプラネット

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趣味は、読書、絵を描くこと、釣り、作品鑑賞(ジャンル問わず)。
動物が大好き。カメレオン・カメ・観賞魚・犬・モモンガなどを飼っている。自宅を動物園のようにしたいという思いを持っているが、猫アレルギー。2021年から飼っているヒョウモントカゲモドキの「まじゅまろちゃん(まじゅちゃん)」が音楽ナタリーのペット愛企画で取り上げられた。2021年7月のNHK Eテレ「沼にハマってきいてみた 熱帯魚沼」に出演している。
好きな食べ物は肉、白米 、牡蠣、マーボー豆腐、笹かま。

幼稚園児だった5歳の頃に東日本大震災で被災した経験を持つ

花彩のあしどり

2015年ショッピングモールで兄と一緒にスカウトされたのがきっかけで事務所入り。事務所に入って数ヵ月くらい経ってから、新しく結成されるグループへの加入を打診され、私立恵比寿中学のライブを見学してアイドルになることを決める。
2015年9月、定禅寺ストリートジャズフェスティバル 株式会社オンサイトスペシャルタイアップステージで「花彩」として、いぎなり東北産に加入。同年12月に地元の戦国武将・伊達政宗にちなみ「伊達花彩」に改名。
2018年1月、「みやぎカキ大使」に任命される(宮城県庁で任命式)。
2020年4月以降、主演作品「アイカツプラネット!」の撮影に専念するためグループ活動を2021年3月まで1年休止。
2021年1月 – 6月にテレビ東京系で放送された「アイカツプラネット!」に主演・音羽舞桜役として出演。

【アイカツプラネット!】第1話「アイドルは突然に」
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2021年3月、生誕イベント「伊達花彩 復活生誕祭 〜神降臨〜帰ってきた伊達花彩」をSENDAI GIGSにて開催。以降いぎなり東北産としてのグループ活動に復帰。
2025年3月、生誕イベント「伊達花彩20生誕祭〜ついに大人の仲間入り〜」をEXシアター六本木にて開催。

いぎなり東北産『わざとあざとエキスパート』MV

【いぎなり東北産】
東北産まれのレッスン生グループ
🩷橘花怜(宮城県産)たちばな かれん
🤍律月ひかる(秋田県産)りつき ひかる
💜北美梨寧(宮城県産)きたみ りね
💛安杜羽加(福島県産)やすもり わか
💚吉瀬真珠(仙台産)きちせ しんじゅ
🧡桜ひなの(岩手県産)さくら ひなの
🩵藤谷美海(山形県産)ふじたに みう
❤️伊達花彩(宮城県産)だて かあや
💙葉月結菜(宮城県産)はづき ゆな

NHK「あの日、何をしていましたか?」

「いぎなり東北産」は「NHK東北温泉地応援プロジェクト」に参加しました。
そして今回、いぎなり東北産のメンバーに“あの日”のこと、そして、“あの日”からのことについて、語ってもらいました。(引用:NHK仙台放送局)

2011年3月11日、伊達花彩さんはどこで何をされていましたか?

伊達花彩
伊達花彩

幼稚園の年長、5歳で卒園間近だったんですよ。放課後に毎回お菓子を作る企画があって。みんなで最後にお菓子を作っているときに・・・あっ、プリン食べていました。プリンを食べるときに、地震が来ました。めっちゃ揺れたなあと思ったんですけど、蛍光灯がめちゃ落ちてきちゃって。みんなで長机の下に何十人も子どもが入って、先生がそれを見守ってみたいな。何回か教室行ったり、お庭に行ったり、繰り返していました。

幼稚園に母親が迎えに来たあと車で帰宅しようとしましたが、自宅に津波が到達して帰ることは出来なかったといいます。

伊達花彩
伊達花彩

幼稚園にお母さんたちが迎えに来て、そのあと犬を迎えに行こうとしたら、もうお家のエリアに津波が来ちゃっていて。(途中で)お兄さんが立っていて、「津波が来ちゃっていて、もう戻れない」って言われて。(車から津波を)見ました。感情が全部飛んでちゃっていて、PTSDみたいなやつをお母さんと発症しちゃってから、どう思っていたんだろう。無です。覚えている感情が無ですね。

震災から数日後、伊達さんは母親と自宅のあった場所に向かいました。

伊達花彩
伊達花彩

すごかったです。トラックが家の中に入っていて・・・。私、あんまり見せられてなくて、親に見せられてなかったんですよ。何回か流された自分の家にも行ったんですけど。「絶対(車から)降りちゃだめ」って言われていて、降りてない。でも、ぐちゃぐちゃだったのは覚えています。
私が絵を描くのすごく好きだったんですけど、絵を描くときに全部真っ黒になっちゃってて。(母が)「これはまずい」という感じになって、めちゃ楽しいことをさせようみたいな、家族でそういうのがあって、いろんな楽しいことをさせてくれて。そのなかではまったのがアイドルのゲームで、歌って踊っているのが楽しそうだっていうのもあって。(その時期に)スカウトしていただいて・・・。

伊達さんはつらい経験をしたからこそ、自分にしか伝えられないことを発信していきたいといいます。

伊達花彩
伊達花彩

自分が経験したからには、自分しか語れないことだったり思いだったりがあると思うので。私の妹って震災のこと知らないんですよ。だから、知らない子たちにも、そういうことを、今後ないなんて限らないじゃないですか。また同じことがあるかもしれないし。今後にいかせるようなことを発信、自分ができることを発信して、同じことがあっても身の回りの命を守れるようにしたいなって思っています。

迎えに来た、親戚の車に乗って避難。数週間を車中泊で過ごしたといいます。
その後、家族とともに市外へ引っ越しましたが、伊達さんは震災や津波の光景を思い出して苦しんだといいます。

伊達花彩
伊達花彩

「あとから親から聞いたら夜泣きとか、泣き叫んで走り回ったりとかしていたっていう話は(家族から)聞きました」

PTSD=心的外傷後ストレス障害と診断された伊達さん。支えてくれたのが家族でした

伊達花彩
伊達花彩

「家族と過ごす時間がすごくたくさんあった気がして、温泉に行ったり、絵を描いたり、それをコンクールに出したりして。そっからかな、自分すごく絵を描くのが好きになったりして」

その後、精神的に少し落ち着いたものの、震災の経験を思い出し過呼吸になるなど苦しい状況が続き、自らの被災経験について話すことを避けていました。

スカウトをきっかけに、3年後の2014年、憧れていた芸能界に進んだ伊達さん。
グループで活動を始め、笑顔で東北に元気をふりまいています。
一方で、震災になかなか向き合えてこなかったといいます。
それでも東北各地の被災地も回り、活動を通じてメンバーとも震災について語りあうことで、徐々に向き合うことができるようになりました。

伊達花彩
伊達花彩

「メンバーは9人で何人か被災していて、津波は来ていないけれど違うことでちょっと違う感情の子がいたりしたので、幼いころの自分だったらあまり理解できなかったこととかが、自分が成長していく上で話を聞いて理解できるようになるので」

伊達さんは、記憶が曖昧なところは今回改めて家族に聞き、インタビューに応じてくれました。

能登半島地震で被災した子どもたちに対しても、自らの経験を振り返りながら
「子どもたちを守れるのは本当に大人しかいないと思っています。子どもたちが安心できる環境を大事にしていただきたい」と話していました。

去年から津波で流された家があった場所や通うはずだった小学校などを家族と訪れているという伊達さん。当時の記憶を補うように、ふるさとで起きたことに向き合いながら、東北を発信していきます。

頑張ってください そして兄の記事「宮世琉弥のRYUBI’s Style」はコチラです。

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