1.山段芳春 ―黒幕といわれた男

社会

私は、彼の亡くなる1999年まで24年間同じ職場で仕事をして来ました

私は1975年4月に大学を卒業し京都信用金庫に勤務が決まり半年ほど過ぎた頃、支店長に呼ばれ本日16時に祇園の「河庄双園」で会合があるので参加するよう言われました。
建仁寺の真南に位置する高級そうなその料亭の群れはいずれも黒塀に囲まれており、夜になると15㎝四方ほどの街頭しか見えず、街頭に書かれた屋号でどの店か確認するといった具合でした。
2階に案内されると広い畳敷に全店から職員が100名近く集まっていました。
ここで初めて京信職員会議を知らされ各運営委員の紹介及び書記局長 安川良子氏の挨拶がありました。
以降 正座させられたっぷり2時間は安川氏より、がなり立てるような早口で、京信には一般の労働組合とは異なる職員会議の存在をアピールされ、最後に総括と称して山段常任顧問より、どすの効いたしわがれ声で組合を作る必要は無く職員の身の保全はすべて自分が責任を持つ、また過去に居た政府の天下り理事長を追放し、現在の榊田理事長を呼んだのも私です、といった内容でした。
あまりに突然の恐怖で、貧血を起こし倒れる女子職員も何度か見てきました。
総括が終わって歓談と題して懐石とビールが出ますが、皆ほとんど飲まず食わずでビール瓶の追加を頼んだのは私くらいでした。今まで一度も経験したことのない高級料亭での食事と仲居さんから入れて貰うビールは旨かったです。
そして何度か参加している間に当職員会議の書記に選ばれていました。また運営委員会と題した祇園のクラブでの飲み会では山段氏のカタモミ役にされていました。

河庄双園は現在、祇園鹿六と名称を変え高級焼肉店に変わっています。

亀井静香氏を一夜にして虜にする

毒舌を吐いて威勢のいい代議士 亀井静香氏は平成元年の総裁選で派閥候補以外の者を推した為、安倍派から除名されたが、政界フィクサーといわれた福本邦雄氏に連れられ、山段氏を訪ねて京都へ。
一子相伝の京料理老舗「なかむら」(富小路通御池下る)で畳に頭をこすり付けながら「自分には体力はあるが知恵はない。これからもよろしくご指導いただきたい」と言って、すぐに安倍派に復帰した。
(これは山段氏の秘書であった安川良子氏が実際目撃され後に自伝で語られています)
安倍晋太郎氏は余命幾ばくも無いときであり、山段氏の忠告を受け入れ安倍氏を見舞い関係を修復し今の政界地図は塗り替わったのです。

許永中氏曰く「山段氏は兄貴・オヤジ以上、人生の恩人・師匠だ」

KBS京都・簿外債務事件で代表取締役であるチンピラヤクザ内田和隆より山段氏の殺害を懇願された許永中氏が2日間の偵察を終え、3日目に山段氏の事務所を訪れるくだりは安川氏の自叙伝と許氏の自叙伝にも詳しく記されていますが、ほぼ内容は同じであった。
あまりに広い人脈に恐れ、手も足も出なかったようであった。
許氏は改めて紹介者を立てて挨拶に来るが初対面の時のことをこう語る。
「あの時、山段氏がはやる自分を諄々じゅんじゅんと論してくれなかったら身を誤るところだった。山段氏は兄貴・オヤジ以上、人生の恩人・師匠だ」と。

この二人のやりとりについては、「同和のドン」にも記されており、ぜひご参照いただきたい。
バブル期に「許永中に唯一対抗できた男」がやったことがヤバすぎて…山口組五代目と山段芳春の会談の真相《同和のドン 人権と暴力の戦後史》


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