3.山段芳春 ―黒幕といわれた男

社会

船橋市長誕生から今川市長へ、また田辺市長と桝本市長

船橋求己(ふなはし もとき)市長は、3期10年にわたって京都市長を務めました。彼は全国革新市長会副会長でもありました。
今川正彦市長は、船橋市長の病気引退に伴う1981年の京都市長選に出馬し、自民・社会・公明の推薦と共産・民社・社民連の支持を受けて初当選しました。在任中に洛西ニュータウンの建設京都の最大の恥部と言われてきた京都駅前周辺部落を駅前再開発地区に指定してニュータウンに総移動)や京都市営地下鉄烏丸線の開業、世界歴史都市会議の開催などを手がけました。
田邊朋之市長は1989年に京都市長選挙で当選。彼は広島県出身で、京都府立医科大学を卒業後、医師として活動しました。田辺市長は、平安遷都1200年記念事業や世界歴史会議の開催など、京都の文化と歴史に深く関与しました。
また、規制緩和を進め、京都ホテルやJR京都駅ビルの高層化工事を認め、景観論争を引き起こす切っ掛けを作りました。
桝本賴兼市長は3期にわたり京都市長を務めました。
地下鉄東西線の整備に尽力し、その他にも京都府公安委員も務めました。

桝本氏は教育委員会一筋に育った人でした。自民党市会議員 幹事長 国枝克一郎氏が「打診したが断られた」と山段氏のもとに相談に来られて説得にあたった。
桝本家は洛西桂坂にあり、私が担当しておりましたが、かなり質素な居宅でした。30坪ほどの宅地に木造の2階建は建売住宅のそれであり、高級住宅地桂坂には不似合いなものでした。
しかし奥様もお嬢様も上品でしっかりした受け答えをされる方でした。

山段氏は自ら指揮する京都自治経済協議会、京都府警幹部、市役所OB,京都新聞社等あらゆる人脈を通じて京都市長の誕生にも影響を与えてきました。
さらにひとつ前出の上田藤兵衛氏のことがあります。上田氏は「自由同和会」の全国副会長であり、京都の会長として精力的に活動しており、山段氏と特に親しい間柄で、損得をぬきにして山段氏を慕っていたこともあり、人権問題や青少年育成について、上田氏の部落解放同盟の運動とも車の両輪として考えていた。「藤兵衛は約束を守る男や。肝心なことは口外も吹聴もせん。」と言っていました。

京都銀行導入預金事件と京都新聞

昭和48年3月京信桂支店で不審な小切手の動きがあると本部に連絡があった。調査すると桂支店長は月末の預金量をかさ上げするために京都銀行東向日町支店長と小切手を互いに入金しあっていた。この粉飾はドレイといって旧い時代の金融機関では黙認されていたが、すでに当時でも禁止されていたものです。
さらに京都銀行東向日町支店長が不正融資していることも伝わった。
山段氏は京銀にこのことを知らせ、京信の桂支店長及び関係者を出張に出して、事件から距離をとらせた。
京都銀行の本部ではまだ誰もこの事実をつかんでいなかったので、半信半疑で内部調査を進めた結果10億円の不正融資が発覚し府警捜査二課と下鴨署が捜査に乗り出した。
山段氏は支店長が逃げたり自殺などしないように銀行に身辺保護の注意を促したが、行方をくらます。

それから山段氏の事務所はてんやわんやとなる。
京銀からは小野専務(後の取締役)を中心に井上常務(後の頭取)・秋元部長(後の頭取)ら、時には弁護士も交えて深夜まで協議が行われた。
支店長は導入屋と共謀してその預金を浮貸ししていたとされ、銀行は導入屋が定期預金証書を持って払い戻しを要求したときに、どう対処するかについて意見が分かれた。
山段氏はひとり「払うな」と言い張った。「いづれ払うにしても今はその時期でない。時間を稼げ。そのうち裁判になるからその判決の結果に従えばよい」と。
下鴨署の刑事は若い頃からの山段氏の友人であり、警察の意向を先読みしながら銀行に知恵を貸し、無事に解決に向かった。

京都新聞の白石古京氏は昭和21年に社長に就任して平成3年まで45年間にわたり君臨し、昭和46年に日本新聞協会の会長に就任している。会長として国際会議場で世界大会を開いているさなかに、京都新聞社の労働組合がストライキを決行したという。
労働運動の人脈に通じた山段氏が仲介に入り、古京氏に対して「ストにひるむな、妥協するな」と檄をとばした。
このようないきさつから、山段氏は古京氏の後継問題に力を貸すことになる。
息子の英司氏(婚外子)が社内の人望を集め経営者としての力量をつけるまで、甥兄弟が協力して英司氏の楯となるよう指導した。
京都自治経済協議会に入会させ、市役所、京都銀行、京都信用金庫、地元企業のメンバーと交流を深め白石英司氏の応援団が形成された。
しかし、英司氏が急に病死、残されたKBS近畿放送の簿外債務の問題や他の混乱も多く、山段氏立ち合いのもと、未亡人浩子氏(女帝)と現社長の間で「資本と経営の分離」を確認させたが、女帝は納得しなかった。そしてつい一昨年(2022年)浩子氏を19億円の不透明な報酬受取で京都新聞の記者たちに刑事告発されている。


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