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無敵の金メダリスト:藤波朱理の挑戦と栄光

スポーツ

レスリングの藤波朱理選手は、2024年パリオリンピックの女子53キロ級で世界ランキング4位で出場し、金メダルを獲得した。

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藤波朱理のプロフィール

藤波 朱理 (ふじなみあかり)
出身:三重県四日市市
生まれ: 2003年11月11日 (年齢 21歳)
身長: 164 cm
体重: 53 kg (117 lb)
血液型:O型
学歴:三重県立いなべ総合学園高校、日本体育大学、体育学部体育学科
家族: 両親、兄
兄は2017年の世界選手権フリースタイル74kg級銅メダリストで総合格闘家、藤波勇飛。

足跡

88年ソウル五輪代表候補だった父親と兄勇飛の影響で4歳の時にレスリングを始めた。四日市市立西朝明中学校1年の時にジュニアクイーンズカップ中学生の部40kg級で優勝した。中学2年の時に全国中学生選手権44kg級の決勝で1学年上の伊藤海に敗れて2位となる 。以降3年の時にアジアカデット選手権とU15アジア選手権を制すると、世界カデット選手権でも優勝した。

2019年には父親がレスリング部監督を務める三重県立いなべ総合学園高等学校へ進むと、1年の時にはインターハイで優勝し、クリッパン女子国際大会カデットの部では3連覇を達成した

2年の時には全日本レスリング選手権大会に大会初出場ながら優勝した。3年の時にはジュニアクイーンズカップジュニアの部で優勝した。全日本選抜選手権では準決勝で元世界チャンピオンの奥野春菜、決勝で入江ななみをそれぞれ破って初優勝を飾り、世界選手権代表に選ばれた。

世界選手権では対戦相手に1ポイントも与えず、全試合をテクニカルフォール勝ちして優勝した。全日本選手権では2連覇した。

2022年4月には日体大へ進学した。父は三重県立いなべ総合学園高等学校を退職し東京で娘と同居を始める(後に日体大職員となるも収入は半減)。
母は三重県立いなべ総合学園高等学校のレスリング部の寮母であったが、24年3月に父と合流、親娘二人三脚でパリ5輪、金を目指してスタート。

進学直後のジュニアクイーンズカップジュニアの部で2連覇した。アジア選手権でも優勝した。6月の全日本選抜選手権では決勝で元世界チャンピオンの奥野春菜を破って今大会2連覇した。

これでオリンピックチャンピオンの吉田沙保里、伊調馨に続いて連勝記録を100の大台まで伸ばした。

【中略】

2024年8月には、パリオリンピックの53kg級にオリンピック初出場した。8月8日の決勝戦でエクアドルのルシアヤミレト・ジェペスグスマンと対戦し、10-0のテクニカルスペリオリティーでの勝利で金メダルを獲得した。
同年11月紫綬褒章受章。

日体大の”いま”を伝える【特別対談 阿部詩×藤波朱理】

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藤波朱理が東京五輪に出場しなかった理由とは

藤波朱理選手が東京オリンピックに出場できなかった主な理由は、年齢制限によるものです。

そもそも、オリンピック自体には年齢制限はありません。

ただし、それぞれの国際競技団体(IF)が競技規則で定めている場合はIOC理事会の承認によって制限を認めています。

つまり制限しているのはオリンピックではなく、各競技団体ということです。

レスリングに関しては、東京オリンピックの代表選考である「2019年の全日本選手権」への出場資格が翌年の2020年で18歳というものだったため、2003年生まれの藤浪選手は2020年時点で17歳となり、条件を満たしておらず代表選考に出場できなかったのです。

同じく年齢制限により五輪に出れなかった主な選手

1.2006年トリノ冬季五輪での浅田真央(フィギュアスケート女子)
この時の浅田選手は、国際スケート連合(ISU)の規定で出場ができませんでした。

前年の7月1日時点で15歳になっていることが出場の条件で、9月25日生まれの浅田選手は3か月ほど足りませんでした。

2.2018年平昌五輪での紀平梨花(フィギュアスケート女子)
前述の浅田選手同様、国際スケート連合(ISU)の規定で出場ができませんでした。

7月21日生まれの紀平選手は、わずか21日足りなかったのです。

藤波朱理、階級上げロス五輪での2連覇挑戦

藤波朱理(日体大)が次なる偉業への一歩を踏み出しました。2連覇がかかる2028年のロサンゼルス五輪を見据え、57キロ級への転向を表明。過去にあまたの五輪金メダルを獲得してきた日本勢だが、階級を上げての五輪連覇はない。公式戦139連勝中の女王の新たな挑戦が始まる。

昨年11月下旬、藤波は東日本大学女子リーグ戦でパリ五輪以来となる実戦復帰を果たしています。

パリ五輪後は1カ月ほど競技から離れていた。「思った以上に体(の状態)は変わっていたけど、練習をやればすぐに戻った」と強調。普段より重たい相手にも、組み手とパワーで隙をつくり、得意の片足タックルから仕留めた。

団体戦で勝利して勝ち名乗りを受ける藤波朱理(左)=山内晴信撮影

 身長164センチと53キロ級の中では長身の藤波は、減量苦もあり、五輪前から階級変更を視野に入れていた。新たな階級での試合出場は来年になる見込み。「自分のベストは57キロ級。今まで階級を上げて五輪を連覇した人はいないと聞いて、挑戦しがいがあると思った」と話した。

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