元祖アイドル「風吹ジュン」/修羅の道を颯爽と走り去る

風吹ジュン 女優
風吹ジュン
【必ず若返る】72歳女優が語る「私が若くいられる5つの秘密」風吹ジュンが実践する超簡単な若返り方法
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風吹ジュンとは?プロフィール

風吹ジュン   女優、アイドル、歌手
本名  堀川麗子
生年月日 1952年5月12日 (年齢 73歳) 2025.08時点
出生地  富山県婦負郡八尾町 富山県高岡市と京都市育ち
学校  高岡市立二上小学校~京都市立花山中学校卒業
身長  156 cm
血液型  B型
配偶者  川添 象郎 (音楽プロデューサー 1981年 – 1992年)
活動期間  1973年~
事務所  パパドゥ

デビューのきっかけと芸能界での軌跡
風吹ジュンが芸能界へ足を踏み入れたきっかけは、モデルとして雑誌に登場したことが始まりでした。 10代の頃に京都で取材され、その後グラビアやアイドルとして活動をスタートしました。1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれたのをきっかけに芸能界入りし、ドラマ「阿修羅のごとく」や「寺内貫太郎一家2」などに出演しました。彼女は、元祖アイドルとして知られています。

風吹ジュンの芸能活動の歩み

若手アイドル時代の活躍
風吹ジュンは1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ、その美貌で注目を集めました。 1974年に歌手デビューし、「噂のジュン」「星の国からやってきたジュン」というキャッチフレーズで人気を博しました。 当時は清純派歌手として人気を集めましたが、後に女優に転身。

女優としての代表作と受賞歴
風吹ジュンはドラマや映画で数多くの作品に出演し、代表作にはドラマ「寺内貫太郎一家2」「阿修羅戦場」「やすらぎの刻~道」、映画「無能の人」「海街日記」などがあります。
1991年公開の映画『無能の人』で以下の賞を受賞しております。
報知映画賞助演女優賞(1991年)
第15回日本アカデミー賞助演女優賞
第34回ブルーリボン賞 助演女優賞
毎日映画コンクール女優助演賞(1992年)

現在の活動(ドラマ・映画・CM・ナレーションなど)
風吹ジュンは2025年現在73歳ですが、やはり精力的に女優として活動しています。 BSプレミアムドラマ「照子と瑠衣」でドラマ初の主演を務め、70代女性のシスターフッドを描いた作品で評価されています。また、多くの映画出演も引き続き、2025年公開予定の作品には「ドールハウス」「知らないカノジョ」などがあります。CM出演も継続しており、資生堂「プリオール」やサントリーウエルネス「ロコモア」など複数の企業の広告に出演しています。

このように、風吹ジュンは若手アイドルからの長い芸能活動を経て、現在も幅広い時代で活躍し続けています。

しかし、実際は両親離婚から家庭崩壊まっしぐら!

彼女は高校教員の父と母の間に生まれるが、11歳小学校5年生の時に父が愛人を作り、両親が離婚。ここから人生が暗く傾斜していく。

中学校2年で母親の育児放棄に伴い、中学3年のとき、母方の親戚を頼り、母・兄と3人で京都に移り住む(暮らしは非常に貧しく、京都で住んでいた家は窓の裏が崖であった)。内職やアルバイトをする日々だったという。高校進学は母に拒否され家出、以降3年間自活し、京都で様々な仕事に就く。

 18歳で上京し、飲食店などに勤務。1970年の秋から、1年間、銀座の高級クラブ「徳大寺」でホステスとなり、源氏名「レオ」として働いていたとき、客として来ていた芸能関係者にスカウトされる。

芸名は「風に吹かれたように出てきたから風吹」「語呂がいいからジュン」。「ハワイに行ったのが6月(June)で、風が強く吹いていたので、合わせて命名した」。

1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ、デイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真でマスメディアに浮上。1974年に「愛がはじまる時」で歌手デビューすると人気が爆発。キャッチフレーズは「噂のジュン」「星の国からやってきたジュン」で、この歌手デビュー時は、ギリギリ21歳だったが、ホステス時代を隠すため、19歳として売り出したことが後でスキャンダルの一つとなった。作家の但馬オサムによると、総じて歌唱力は低いとされている。風吹自身「私は歌が一番ヘタの横綱」と述べている。

人気は束の間で、1974年から2度に渡る事務所移籍問題を巡り、暴力団が介入して、風吹誘拐事件失踪事件などのスキャンダルとなり、マスメディアが大騒ぎし、二重契約問題でCMを降ろされ、風吹自身も2年の年齢詐称や先の銀座のホステス経験、デビュー時のプロフィールでは「京都市立日吉ヶ丘高等学校卒」としていたことが嘘と発覚し、当時ついていた清純派歌手イメージが崩れた。

清純派イメージが無くなると以降、ヌードも辞さず、1977年『白熱デッドヒート』で映画初出演すると1979年の『蘇える金狼』で松田優作とフルヌードで激しい濡れ場を演じ、ファンやマスメディアを驚かせ、また女優として高い評価を得た。

清純派タレントが醜聞をテコに成長した例はそれまでほとんど無かった。

スキャンダルを乗り越えた後はぶっちゃけるようになり、「17歳で初体験。以来、常に恋人はいました。男に尽くして仕事がだめになったことあります」などと話した。彼女は、所属事務所を辞めると決めていたが、1975年に『寺内貫太郎一家2』への出演が決まった。(出演が可能になったことについては、樹木希林の口添えがあったという。以降、樹木が亡くなるまで親交があった)

1981年に川添象郎と結婚。1男1女をもうけるも、1992年に離婚。娘と息子を引き取って育てる。2023年現在、娘・孫はアメリカ合衆国在住。

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インターネット上で話題になる「風吹ジュンと事件の噂」

「移転事務所に伴う暴力団による拉致事件」とは?
1974年9月12日、風吹ジュンはフジテレビでの撮影終了後、突然恐ろしい男たちに腕を掴まれ車で去られ、裁判が暴力団絡みの拉致事件と判断する大規模に発展しました。また、拉致したのは実際には暴力団ではなく、もとの所属事務所の社員で、譲渡の意思を変えさせるためとりあえずの場として連れて行って勝手だった本人があっけらかんと思っている。

「パトカー20台・捜査員50名の大拉致事件」の真相
当時の事件、パトカー20台、捜査員50人が集中されるほどの大事件として読まれましたが、実際は風吹ジュンが新事務所「B」に移籍しようとしたことで、旧事務所「A」の関係者が彼女の意思を変えさせようとしたもので暴力団絡みの可能性も取りざたされましたが、作詞家なかにし礼の兄が暴力団関係者であったもの、本人に危険は加えられていません。事件後、風吹ジュンは3重契約問題で平和的なイメージダウンで人気も急落しました。

元夫との離婚と「愛人拉致」の噂 参考文献:デイリー新潮
風吹ジュンさん(当時29歳)の元夫・川添郎さんの恋人(当時23歳)であった「アッコ」こと川添明子(旧姓:小出)さんが妊娠していました。このことが1992年の風吹ジュンさんとの離婚の大きな原因となりました。
この離婚は当時「とんでも離婚」とも呼ばれ、その壮絶さが注目されました。 風吹ジュンさんは子どもたちのために結婚生活を続けようと努力していましたが、不倫相手の妊娠が決定打となって離婚を決意しました。 離婚後も風吹ジュンさんはシングルマザーとして女優業と子育てを両立させています。

銀座高級クラブ「徳大寺」のレオ嬢説は本当?

この件に関しては『週刊ポスト』1978年6月16日号の高見山との対談で自ら「銀座のクラブ徳大寺で働いた」と話しています。

同店のママは俳優・徳大寺伸が二号の芸者に産ませた娘・徳大寺美留。瀬里奈チェーンを経営する藤田典昭をスポンサーに青山に出店した後、銀座にミニクラブ『徳大寺』を出店し、ホステス全員がミニスカートという当時としては斬新なアイデアで大繁盛した。
同店出身者は他に五十嵐じゅん、中津川みなみ、安西マリア、高沢順子、田島晴美、水沢夕子らで“タレント養成学校”の異名をとった。
美留ママは風吹について「京都で何をやっていたか知らなかったけど、店では目立つ子だったわね。しかしあの子が三ツ矢サイダーのCMで契約金500万円だなんて、驚いたわねえ。
ボーナスでハワイに連れて行ったとき、オッパイ丸出しにして走り回っていたのにね…」、ホステス仲間は「私のマンションに2ヵ月ばかり置いてやったんだけど、男をよく連れて来るわ、外泊はよくするし、フーテンみたいだったから彼女が芸能界デビューしたときは、あれあれ、と思った男が多かったんじゃない?
平尾昌晃なんか、たぶん、そのクチよ」、「安西マリアと同期の風吹ジュンはお店では『レオ』と呼んでたけど、歌は『あんたもうやめて!!』という感じ。
でも踊りは抜群。顔は、あの通りのベビーフェイスだけど、体は丸みがあってプロポーションも良かった。踊り方もスネークぽい独特なもので、そのアンバランスが人気の的だったわね。
レオがうちのお店に来るようになったのは、以前、彼女が遊びで上京したとき、私が声をかけたのよ。
『よかったらお店で働かないか』って…。その時、確か髪をグリーンに染めてたわ。ブリジット・バルドーを尊敬してて、おしりを振って歩いてたわね。
それからしばらくして、銀座のお店に訪ねて来たの。貧弱な男の子と駆け落ちして上京し、アパート代を借りに来たのがきっかけね。
確か彼女が17歳の時だったわね。
で、その男の子と別れてから、お客で来ていた平尾のマーちゃん(平尾昌晃)と同棲したの。
期間は長かったわよ。

でもマーちゃんの浮気が原因で別れたらしいわね(中略)レオは凄い恋愛したことがあるのよ。あの二代目社長がお相手。その二代目との間に子供までできたほどなのよ。
結局、妊娠してから彼が冷たくなり、結局……したんだけど。
まあレオはいろいろやってたわね。その二代目社長と恋愛中に、あの会社の老社長にかわいがられて『レオ号』というヨットと、小さなモーターボートをもらっていたもの。
どういう関係なのか知らないけど…。私は彼女たちを自由にさせていなかったつもりだけど、やっていたわねえ。
どういう風に合間を見つけるのか…。『アラッ』と思った時はみんな手遅れ」などと話した。
平尾は風吹のデビュー曲の作曲者であるが、平尾は「妹のように可愛がっていただけです」と話した。

以上が記事内容でした。

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現在風吹ジュンは再婚でなく事実婚を選んだ

事実婚の相手が年下経営者と報じられた根拠は何か

証拠となる報道と証言
・事実婚相手の存在は、芸能週刊誌やワイドショー、WEBメディアが風吹ジュンのプライベートを取材した際にインタビューされました。

・具体的に「年下の実業家」と示されたのは、風吹ジュンの優しい関係者の証言や、本人のインタビューを元に記事化されたものです。

・また、交際・同居の状況やパートナーの職業・年齢も、芸能記者やライターが裏にした情報を引用し、本人が否定的で事実上認めているインタビュー記事も根拠となっている。

詳細内容
・風吹ジュン本人は「結婚の形にはこだわらず、心から信頼できる年下男性と過ごしています」と立っており、そのパートナーが事業経営者であることを周囲が照らしています。

・実名や事業内容は公表されていないが、共通の趣味が知り合った年下の男性であることは事実婚生活に関する複数の記事で確認でき、噂や憶測では測らずに取材ベースの情報です。

さて、「年下経営者」とよく言われているのは週刊誌やWEBメディアの具体的な取材・関係者証言・本人認めるコメントが複数存在するためです。

風吹ジュンとファッション・美の秘訣

年齢を感じさせないライフスタイル
風吹ジュンさんは、年齢を重ねても透明感のある美貌と自然体の魅力を厳選し続けています。その秘訣のひとつは「無理をしない」ライフスタイル。華やかな芸能活動の裏で、日常では肩の力を抜き、自然体で過ごすことを大切にしているのがまた、シンプルで清潔感のあるファッションを好み、自分らしさを大切にしたスタイルで年齢を超えた魅力を演出しています。 年齢に関わらず「今の自分に似合うもの」を選ぶ姿勢が、多くの女性に支持される理由と言います。

美容法と健康管理の秘密
風吹ジュンさんは、飽きない美容法にこだわらず、毎日の積み重ねをしています。 規則正しい睡眠、バランスを大切にした食生活、適度な運動など、基本を大切にすることで内側からの美しさを保っているのです。 また、
スキンケアは「肌に負担をかけない」シンプルな方法を選ぶ傾向があり、過剰なケアよりも自然な肌づくりを重視しています。

雑誌・テレビで語られている「生き方」の魅力
これまでたくさんの雑誌やテレビ番組で紹介されてきた風吹ジュンさんの生き方は、多くの人にとって憧れのモデルとなっています。彼女
が語るのは、「年齢を意識しすぎず、自分らしく軽やかに生きる」こと。そして、年齢を「立つ」ではなく「成熟」と捉え、ポジティブに楽しむ姿勢です。
飾らず自然体ながらも、芯のある生き方を続ける姿は、ファッションやビューティの枠を超えて、多くの女性に勇気とインスピレーションを与えています。

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風吹ジュンの現在とこれから

風吹ジュンは2025年も精力的に活動しており、映画やテレビへの出演が続いています。

今後の活動の注目ポイント
2025年9月26日公開予定の映画「沈黙の艦隊 北極海大海戦」にて、民自党幹事長という女性政治家役を演じている。 この役では「母役」「夫人役」といったそこらのイメージを抜け出し、芯のある現代的な女性像への挑戦が始まっている。 さらに10月末には「SPIRIT WORLD スピリットワールド」の公開を控えているなど、様々な役柄で新境地を開拓している。

ファンとして注目すべき出演作品
2025年は映画「沈黙の艦隊 北極海大海戦」(9月26日公開)、「SPIRIT WORLD スピリットワールド」(10月31日公開)。また6月13日公開された「ドールハウス」、1月23日放送されたテレビ番組「都のありがたい国宝巡り」(BS朝日)では京都の歴史や文化に触れ旅人の役割を担っており、彼女の人間性や知性が滲む新たな一面を楽しめます。

【Ado×宮本浩次×まふまふ 主題歌入り最新映像解禁!】『沈黙の艦隊 北極海大海戦』【予告①】2025年9月26日(金)公開
【60秒予告編】映画『SPIRIT WORLD -スピリットワールド-』
映画『ドールハウス』予告1【6月13日(金)公開】
風吹ジュン 都のありがたい国宝巡り【あなたの知らない京都旅 ~1200年の物語~】

風吹ジュンという存在が持つ普遍的な魅力
1970年代から一線で活躍し続ける風吹ジュンは、時代に左右されないしなやかな魅力を持っています。年齢を重ねても自然体でいながら、挑戦し続ける姿勢、新しい役柄で自分自身を更新し続ける精神こそが、世代を超えて共感を呼び続ける理由です。表面的な美しさだけでなく、生き方や人生観、人間味がファンや視聴者に勇気を与えています。

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