間寛平――「アヘアヘ」「かい~の」でおなじみのレジェンド芸人。借金6000万円のどん底生活、アメマバッジ10万個の大失敗、地球一周マラソン最中に前立腺がん発覚という壮絶な試練を乗り越えてきたことをご存じですか?
芸歴51年、76歳になっても吉本新喜劇GMとして活躍し、大阪マラソンで変装ランを続ける鉄人です。
間寛平本人が「人生の8割は皆のお陰」と語るように、周囲の支えがなければ今はありません。
借金地獄の真相から、がん闘病、アースマラソン完走、そして現在の感謝の人生まで――波乱万丈すぎる半生に触れていきます。
間寛平の借金6000万円はどうやって生まれた?連帯保証人とアメマバッジ失敗の真相
間寛平さんの借金地獄は、お人好しな性格が仇となった連帯保証人と、一発逆転を狙った「アメマバッジ」の大失敗が主因です。ピーク時には6000万円を超え、人生最大の危機を迎えました。
お人好しが仇に…先輩芸人の連帯保証人で借金地獄スタート
若い頃の間寛平さんは「頼まれたら断れない」性格で、先輩芸人らの借金の連帯保証人を何度も引き受けました。そば屋の店員の時計購入保証人や、先輩の900万円手形裏書きなど、次々とトラブルに巻き込まれ、借金が雪だるま式に膨張。78年頃から地獄のような生活が始まりました。

一発逆転狙いのアメマバッジ10万個…630円仕入れが大失敗に
1986年、関西テレビ「今夜はねむれナイト」で生まれた人気キャラクター「アメママン」をモチーフに、自主制作した「アメマバッジ」。原価約630〜634円のものを1500円で売り、10万個で借金返済を狙いましたが、番組終了で人気急落。高額仕入れ詐欺疑惑(ICチップ偽装など)で売れ残り、裁判に発展。在庫の山ができ、借金は6000万円超に膨れ上がりました。今では「伝説の失敗」として笑い話に変わっていますが、当時は壮絶でした。


この借金危機が、後の地球一周マラソンやがん闘病を乗り越える原動力にもなったのです。
借金6000万円をどう返済した?過酷な四国営業と東京進出の力
間寛平さんの借金6000万円返済は、地道で過酷な努力の積み重ねでした。吉本新喜劇の座長として活躍しながらも、夜の営業を繰り返し、1989年の東京進出で知名度を上げて完済へ。壮絶な日々が後のマラソン人生の原動力にもなりました。
吉本新喜劇後すぐに四国スナック営業…ほぼ毎日瀬戸大橋越え
借金返済のため、吉本新喜劇の公演が終わるとすぐに夜行バスや車で四国へ向かう日々。ほぼ毎日、瀬戸大橋を渡ってスナックやイベントを掛け持ちし、「あへあへ~」と歌いながら営業。レコード300枚を抱えて販売したこともあり、「指、ちぎれそうやで」と本人が振り返るほどの重労働でした。家族(妻・光代さん)も乳飲み子を抱えながら支え、街金返済に奔走した過酷な時代です。

1989年東京進出&24時間テレビマラソンで完済へ
37歳で吉本新喜劇を退団し、東京へ拠点を移す決断。萩本欽一さんらに師事し、地道に活動を広げました。日本テレビ「24時間テレビ」の初代チャリティーマラソンランナーとして神戸〜東京約600kmを7日間で完走するなど、知名度が急上昇。周囲の支援と自身の根性で、約16年かけて借金を完済。「借金は芸の肥やしなんてウソ、苦しいだけ」と本音を吐露しています。


この返済生活が、地球一周マラソンへの挑戦精神を育てたと言えます。
地球一周マラソン最中に前立腺がん発覚…「死んでも走る」壮絶闘病
間寛平さんの最大の挑戦「アースマラソン」は、借金完済後の新たな夢でした。しかし、道中で前立腺がんが発覚。治療を中断せず「死んでもいいから走らせろ」の執念で完走を果たした鉄人ぶりは、今も多くの人を感動させています。
2008年スタートのアースマラソン(マラソン+ヨットで約4万km)
008年12月17日、なんばグランド花月をスタートに、マラソン(陸路)とヨット(海路)で地球一周を目指す前人未到のプロジェクト。総距離約4万km(陸上2万km、海上1万6000km以上)を766日かけて走破する過酷な挑戦でした。借金返済後の「新たなスタート」として、芸能活動を休止して挑んだ夢の旅。沿道の人々との出会いや、地球の美しさを体感しながら進む姿が、多くのメディアで報じられました。

トルコなどで前立腺がん発見→治療中断も完走への執念
2010年1月、トルコ・イスタンブールで排尿トラブルから検査を受け、前立腺がん(初期段階、転移なし)が発覚。PSA値が異常上昇し、衝撃を受けましたが、「ゴールまで日本に帰らない」と宣言していたため中断を拒否。ホルモン療法を続けながら走り続けました。妻・光代さんがレントゲン写真を持って日本で専門医を回り、アメリカ・サンフランシスコの日本人名医(篠原医師)を紹介。トルクメニスタンで一時中断し、約1〜2ヶ月放射線治療(5週間・25回)を受けつつ、ホルモン療法を併用。光代さんが2ヶ月間付き添い、生活を全力サポート。「死んでもいいから走らせろ」の精神で6月下旬に再開し、2011年1月21日になんばグランド花月で感動のゴール。壮絶な闘病を乗り越えた体験は「病気は忘れるのが一番」と明るく語る原動力になりました。


この試練が、芸歴51年の今も「8割皆のお陰」と感謝する間寛平さんの強さを生んだのです。
. 芸歴51年「人生8割は皆のお陰」…間寛平を支えた人々と現在の姿
間寛平さんの芸歴は51年を超え、今も現役で輝き続けています。本人が繰り返し語る「人生8割は皆のお陰」(または「実力1割、9割皆のおかげ」)という感謝の言葉は、借金地獄やがん闘病を乗り越えた原動力。支えてくれた人々への深い思いが、今の活躍を支えています。
「我の実力1割、9割皆のおかげ」感謝の言葉に込められた思い
50周年ツアーやインタビューで間寛平さんが何度も口にする名言。「我の実力1割、9割皆のおかげ」という言葉は、さんまさんをはじめとした先輩、千鳥やEXITなどの後輩、吉本新喜劇の仲間たちからの支えを象徴しています。借金返済時代からアースマラソン、がん闘病まで、一人では乗り越えられなかった試練を、周囲のエールと協力でクリアしてきたからこそ。この感謝の姿勢が、後進を育てる今も変わらず、彼の人間性を表しています。

今も現役!吉本新喜劇GM&大阪マラソン変装参戦
2022年から吉本新喜劇のゼネラルマネージャー(GM)に就任し、後進の指導に尽力。新喜劇のネタバトル復活や若手ユニット「秘蔵っ子」のプロデュースなど、劇団を活性化させています。76歳の現在も衰え知らずで、2026年の大阪マラソンでは「引きずり女」のコスプレで7.2kmを完走!EXITの兼近・りんたろー。と伴走し、沿道を大いに沸かせました。来年は「先っちょマン」で参戦宣言するなど、元気いっぱい。芸歴51年目の今も、笑いと走りで人々を励まし続けています。

この感謝と行動力が、間寛平さんを永遠の鉄人たらしめているのです。
間寛平の人生から学ぶこと…借金・病気・挑戦を乗り越えた教訓
お人好しが仇になることもあるが、周囲に甘え、助けを求め続ける「あまえんぼう」精神で乗り越えてきた間寛平。
「8割皆のお陰」という言葉は、私たちにも響きます。あなたも今、誰かに感謝を伝えてみませんか?
間寛平の借金6000万地獄、アメマバッジ失敗、がん発覚を乗り越えた波乱万丈人生。芸歴51年目の今も輝き続ける理由は「皆のお陰」です。
間寛平さんのこれからも応援しましょう。




