河邑ミクさんの足跡
河邑ミクさんは大阪府出身のお笑いタレントです。
芸人を目指すきっかけとなったのは、中学生時代に文化祭でやった漫才だった。
高校卒業と共に2013年4月、松竹芸能の養成所に入学。同所卒業後は女性コンビ『8分音符』を結成して活動。8分音符時代は8人ユニット『イロイロジカケ』でも活動。しかし、2015年3月に8分音符は解散。解散後も新たにコンビを組んで漫才をする気は満々だったが、自分がいい芸人にならないと誰とも組んでもらえないと思い、相方が見つかるまではということで一人で続けていたが、結局一人での活動が定着し、現在もピン芸人として活動している。
河邑ミクの実家の貧乏エピソード
①
河邑ミク家の食事は、もやし炒めばかりでした。
またカップラーメンをわざと長く待って麺をのばして少しでも量が多くなるようにしたこともあったそうです。
河邑ミクさんは平成生まれですがゲーム機を買うお金もなかったため、子供の頃の遊びは白い紙に丸をたくさん書いてツイスターゲームをするなど、家にあるものを使って作っていました。
②
河邑ミクさんの弟さんが生まれるまで、自宅は家賃3万~4万円のアパートでした。
10畳ほどの部屋に部屋を半分に割って3人で使い、シャワーはなくゾウのジョーロを使っていたため、河邑ミクさんはそのジョーロがバスグッズだと思っていました。
また台所で給湯器からのお湯をシャワー代わりに浴びていたこともあったそうです。
③
河邑ミクさんの両親は、共働きでした。しかしそれでも生活費がなかったため、河邑ミクさんは高校から遊園地、コンビニ、タコ焼き屋、うどん屋、お好み焼き屋などのバイトをしていました。
3つ掛け持ちしていたこともあったそうで、18歳からはバイト代の半分を家に入れるようになり、芸人になった今もギャラの半分を実家に仕送りしているようです。
1994年8月8日に誕生した河邑ミクさんは、生まれたときから家が貧乏だったことから、自分の家庭が特別貧乏だとは思わず、前向きでクリエーティブな家庭だと思っていたそうです。
15歳の時に「みんなと私の家は違う」と気付き、18歳の時に交際した彼氏にお米10kgをプレゼントしたところ、ドン引きされてしまったこともありました。
父の職業は、プロパンガスを運ぶ会社の社員です。そのため仕事中は作業着ですが、プライベートではブランド服を着ており、美的意識が高いことからネイルをしていたこともあるそうです。
お父さんは高い服を買い続けるのが止められず、また飽きるのも早いため、河邑ミクさんは「ほとんど着ないで雑巾になってしまうものもある。5万円の雑巾」と語っていました。
河邑ミクの魅力
ユーモアのセンス: 彼女のジョークやコントは、多くの人々に笑いを提供しています。特にその観察力と独特な視点が彼女のコメディを際立たせています。
多才な才能: 河邑さんは、コメディアンとしてだけでなく、歌や演技でもその才能を発揮しています。彼女の歌唱力はプロ並みで、多くの人々に感動を与えています。
親しみやすいキャラクター: 彼女の明るく親しみやすい性格が、多くのファンに愛されている理由の一つです。
今後 彼女のメディア露出MAXとなる日を夢見ています。