6.山段芳春 ―黒幕といわれた男

社会

山段氏思い出のステージ

芸能人との交友

進駐軍キャンプ時代に親しくなった俊籐浩滋氏は、のちに東映の大プロデューサーになられるのだが、昭和45年頃所長のポストをめぐって東映太秦撮影所は紛糾した。岡田茂氏(のちの東映会長)か俊籐浩滋氏ということで俳優も二派に分かれ、その俊籐グループは京都ホテルに宿まっていた。そこに山段氏が激励に行く。当時 俊藤派についた俳優たちとは後年まで仲良くなる。
鶴田浩二・高倉健・菅原文太・品川隆二・中村錦之助・里見浩太朗・伊吹五郎、まだ20代の松方弘樹らもいた。女優では山田五十鈴・娘の嵯峨美智子とご縁があり、のちに琵琶奏者の上原まりが山田五十鈴からの丁寧な紹介状を持ち山段氏のもとへ挨拶にきた。氏は府立文化芸術会館のチケットを相当数購入して京都公演を成功させた。
俊藤氏の愛娘・藤純子(富司純子)とは女優としてではない。彼女が京都女子高校に入学する時に保証人になっているので、京都で力を貸して欲しいときは、親を素通りして、「おじさん、おじさん」と事務所にやってくる。
歌舞伎の名門に嫁いで苦労も多いだろうが、彼女はとても聡明で、嫌みのない甘え上手だった。

観月ありさとの不可解な関係

観月ありさ(1976.12.5生)の母親は米兵とのハーフ。祖母は米兵相手の娼婦でした。
彼女が4歳の時母親が再婚し宮川姓となる。彼女も一時は宮川ありさと名乗ったが、実父の観月に戻す。

母親宮川じゅん容疑者は1987年に大麻所持で逮捕されたほか、2000年にも薬物所持で現行犯逮捕されている。
義父宮川邦雄も2008年東京都港区南青山のビルでバカラ賭博開帳の疑いで逮捕。

政界のフィクサー福本邦雄は観月ありさの支援者として知られた人物である。観月ありさは山段芳春(故人)、福本なしではCM、ドラマに出演できなかった。
出生が決して恵まれた境遇ではなかった彼女だが、現在の地位まで上り詰めたウラで、強力なバックアップがあったのは間違いないようです。

こういった理由から巷ではさまざまなデマが広がりました。
「観月ありさ政財界で枕営業」
「香取慎吾
の子を妊娠したが堕胎した」
「観月ありさと京都のフィクサー山段芳春との不可解な関係」
「観月ありさの興行収入数十億円、山段氏に流れる」

などでした。

しかし、彼女は4歳の頃からCMや雑誌などで子役モデルとして活動し、1989年にフジテレビ系で放送された『教師びんびん物語II』の生徒役で連続ドラマ初出演。その後、ライジングプロダクションに移籍し、連続テレビドラマの主演を30年連続で務めるなど、偉業を成し遂げたのです 。

京信職員会議 結束のつどい

京信信用金庫は、社内コミュニケーションを大切にし、職員同士の交流や情報共有を促進していました。結束のつどいやクリスマスパーティーなどのイベントを通じて、職員同士の結束を深め、楽しいひとときを過ごしていたのです。
年末に近づくと、各支店から3名程交代で毎日京都市内の10ほどのホテルの大広間で結束のつどいが催されました。京都ホテル、当時の国際ホテル、京都グランドホテル、都ホテルなど著名なホテルばかりでした。
都はるみさんや西川峰子さんがゲストとして参加され、さらに楽しいひとときが約束されていました。

                        ≪完≫


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