清水麻椰の「神戸生まれ震災を知らない」特集に込めた思い

清水麻椰 アナウンサー
清水麻椰
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清水麻椰とは?プロフィールと人物像

清水 麻椰しみずまや
出身地 兵庫県神戸市灘区
生年月日 1995年12月20日(29歳) 2025.06時点
身長   160㎝(予想)
最終学歴 同志社女子大学表象文化学部
家族 父(麻酔科の勤務医)母、本人、兄弟不明
勤務局 毎日放送
部署 アナウンサー室
活動期間 2019年 ~
名前の「麻椰(まや)」は、神戸市内にある摩耶山(まやさん)に由来しており、「神戸らしい地名を名前に入れたい」というご両親の思いから名付けられました。また、1995年のJRA年度代表馬「マヤノトップガン」にもちなんでいるというエピソードもあります。

趣味は映画鑑賞、カフェ巡り、料理で、特技は「どこでも寝られること」。身長は公表されていませんが、推定で158cm前後とされています。

家族構成と幼少期のエピソード
清水麻椰の家族について、特に父親は甲子園出場経験のある元・高校球児で、全国大会出場時の思い出として野球ボールや黒い砂を大切に保管しているエピソードが語られています。幼少期には家族とともに神戸市灘区で暮らしており、1995年の阪神・淡路大震災の年に生まれましたが、被災は免れたとされています。

小学生時代は合唱団に所属し、NHKコンクール全国大会に3年連続出場するなど活発な子ども時代を過ごしました。中学時代はバスケットボール部、高校時代は兵庫県立夢野台高等学校の女子サッカー部でセンターバック(CB)として活躍し、県大会準決勝まで進出した経験があります。

このように、家族のスポーツ歴や神戸への思い出が、清水麻椰の人柄や現在の活躍にも大きく影響しています。

清水麻椰の学歴と学生時代

出身高校「県立夢野台高等学校」とサッカー部での活躍
清水麻椰(しみず まや)は兵庫県神戸市出身で、地元の公立校である兵庫県立夢野台高等学校を卒業しています。夢野台高校は偏差値60の進学校で、スポーツ活動も盛んな学校として知られています。

高校時代、清水麻椰は女子サッカー部に所属し、ポジションはセンターバックでした。その実力は高く、在学中に兵庫県大会で準優勝を果たしています。部活動に打ち込む一方で、勉強も両立していた「文武両道」タイプの生徒だったとされています。

テレビ番組でも「高校の時にサッカー部でプレーヤーをしていた」と本人が明かしており、サッカー日本代表の活躍に大いに盛り上がるなど、サッカーへの情熱も伺えます。

同志社女子大学での学びと留学経験
高校卒業後は、京都府にある私立の同志社女子大学表象文化学部に進学しました。この学部では、言語や絵画・映画・演劇など多様なメディアを通じて「表象(representation)」について学び、自己表現力やコミュニケーション能力を養うカリキュラムが特徴です。特に英語や国際教養分野に力を入れており、英語英文学科に在籍していた可能性が高いとされています。

大学時代にはカナダ・バンクーバーでホームステイをしながら語学留学を経験し、異文化交流や語学力向上に努めました。この留学経験が、彼女の柔軟な視野やコミュニケーション力の礎になったと考えられます。

また、2018年度には大阪今宮戎神社の第66代「福娘」に2,815人の応募者の中から選出され、各種イベントに参加するなど、積極的な学生生活を送っていました。

同志社女子大学はアナウンサーや芸能界に多くの卒業生を輩出しており、表現力や語学力、コミュニケーション能力を高める教育が充実していることも、清水麻椰がアナウンサーとして活躍する素地となっています。

MBSアナウンサーとしてのキャリア

毎日放送(MBS)入社のきっかけと初期の担当番組
清水麻椰は2019年に同志社女子大学を卒業後、毎日放送(MBS)にアナウンサーとして入社しました。入社のきっかけは、学生時代にMBSのインターンシップに参加し、ラジオパーソナリティ体験を通じて「ひとつの事象を責任を持って発信することのやりがい」に魅力を感じたことだと語っています。

入社後は、同期の野嶋紗己子アナウンサーとともに、MBSラジオのニュースで初鳴きを果たし、テレビ・ラジオのさまざまな番組に登場しました。特に2019年9月から2021年3月まで出演した情報番組『ちちんぷいぷい』では「しみのじ(清水と野嶋)の“しみ”」として親しまれました。また、学生時代のサッカー部での経験を買われ、入社1年目からサッカー関連番組「GAMBA TV」の年末特番「GAMBA TV アウォーズ」でアシスタントを務めるなど、スポーツ分野でも活躍しました。

『サタデープラス』『よんチャンTV』などの主要出演番組
清水麻椰の全国ネットデビューは、2020年4月からレギュラー出演している情報番組『サタデープラス』(TBS系列・MBS制作)です。この番組では、長時間のロケコーナー「ひたすら試してランキング」を中心に、生活に役立つ商品やサービスを実際に試し、率直な評価を伝える役割を担っています。2022年1月からはスタジオ進行も任され、番組の顔として存在感を高めています。

また、2022年4月からは人気バラエティ番組『プレバト!!』の4代目アシスタントに就任し、俳句や水彩画など多彩な企画の進行役としても活躍しています。

関西ローカルの夕方情報番組『よんチャンTV』では、水曜・木曜のレギュラーとして出演し、地域密着のニュースや特集を担当しています。同番組の特別企画では、高校生や他のアナウンサーとともにダンスパフォーマンスに挑戦するなど、幅広いジャンルで活躍の場を広げています。

このように清水麻椰は、情報・報道番組からバラエティ、スポーツまで幅広いジャンルで活躍し、MBSの“顔”ともいえる存在に成長しています。

清水麻椰とMBS報道特集「神戸生まれ震災を知らない~30年前の報道と今~」

阪神・淡路大震災と清水麻椰アナの家族
清水麻椰アナウンサーは1995年12月、神戸市で生まれました。彼女の両親は阪神・淡路大震災が発生した当時、神戸市長田区に住んでおり、自宅は半壊の被害を受けています。清水アナ自身は震災を直接経験していませんが、子どものころから両親から地震の話を聞きながら育ち、震災の記憶や教訓を受け継いできた世代です。

2025.06.15 5:00~6:00 MBS放送 私も観ました。30年前私も神戸震災を経験したので、まるで昨日のような気持ちでTVにしがみ付いて観ていました。

1995年1月17日の阪神・淡路大震災。震度7の激震が兵庫・神戸市を襲い、6434人もの命が失われた
「消してよ!何でテレビ局が家に来て、消防車が来ないのよ。燃えているのよ、私のお家」

番組で伝えた思いと取材の裏側
阪神・淡路大震災から30年を迎えた2025年、清水麻椰アナはMBS報道特集「神戸生まれ、震災を知らない~30年前の報道と今~」のナビゲーターを務めました。番組では、震災当時のMBS記者やカメラマンに取材し、現場での葛藤や報道の在り方について話を聞いています。

清水アナは「地震を知らず、災害報道を経験していない自分に何ができるのか」を問い続け、被災地で出会った人々や報道に携わった先輩たちの思いに耳を傾けました。番組を通じて、震災を知らない世代として「伝え続けることの意義」や「記憶の継承」の大切さを強く発信しています。

また、報道現場では「カメラを回すこと」と「被災者を助けること」の間で揺れる取材者の葛藤にも焦点を当て、報道の役割と責任についても深く考察しました。清水アナ自身、「神戸を愛する思い」を胸に、震災の記憶が薄れゆく中でも語り継ぐことの重要性を番組で訴えています。

バラエティ番組『プレバト!!』での清水麻椰

【現地取材】清水アナと観る プレバト才能アリ展【よんタメ】

番組内での役割と印象的なエピソード
清水麻椰は、2022年4月から『プレバト!!』の4代目アシスタントを務めています。彼女は浜田雅功MCの隣で進行役を担い、出演者の作品紹介や採点結果の発表、番組全体のテンポを保つ役割を果たしています。

初登場は2022年3月31日の3時間スペシャルで、前任アシスタントの急な欠席を受けて急遽代役として出演。その後、正式にアシスタントに就任しました。番組内では、出演者や視聴者から「笑顔が印象的」「落ち着いた進行」と評されることが多く、浜田雅功や夏井いつき先生との掛け合いも好評です。また、清水アナ自身が「ずっと担当したかった番組」と語っており、念願のアシスタント就任だったことも話題となりました。

印象的なエピソードとしては、出演者やゲストのユニークな作品やエピソードに対しても柔軟に対応し、時にはスタジオを和ませるリアクションやコメントを見せるなど、番組の雰囲気づくりに貢献しています。

清水麻椰のバラエティ力
清水麻椰のバラエティ力は、安定感のある進行と自然なリアクション、そして番組や出演者の魅力を引き出すサポート力にあります。多くを語りすぎず、しかし的確なタイミングでコメントやリアクションを挟むことで、MCやゲストとのバランスを保ち、番組のテンポを損なわない点が高く評価されています。

また、清水アナは『プレバト!!』以外にも『サタデープラス』『よんチャンTV』など多ジャンルの番組を担当しており、バラエティ・情報・報道と幅広いフィールドで活躍しています。その経験が、バラエティ番組でも落ち着いた進行や柔軟な対応力として発揮されています。

総じて、清水麻椰は「華やかさ」と「安定感」を兼ね備えたアシスタントとして、『プレバト!!』の人気を下支えする存在となっています。

大阪マラソンへの挑戦とスポーツ歴

大阪マラソン初挑戦の裏話と完走記録
清水麻椰アナウンサーは、毎日放送(MBS)入社1年目の2019年12月1日、「第9回大阪マラソン」に初挑戦し、4時間28分30秒という好タイムで完走しました。この記録は、MBS女性アナウンサー歴代最速となりました。

挑戦のきっかけは、情報番組『ちちんぷいぷい』の企画で、42.195kmのフルマラソンは人生初。8月末に出場が決まり、約3カ月間のトレーニングを積みましたが、途中で足の故障や胃腸炎による入院などアクシデントにも見舞われました。それでも「自分に負けたくない」という強い意志で走り切り、「30キロ地点からは自分との勝負だった」「最後の200メートルは50メートル走のつもりで駆け抜けた」と語っています。

沿道の声援や先輩アナウンサーからの「どんなに辛くても足を止めないで」というアドバイスも励みとなり、涙のゴールを果たしました。「人生で一番つらかったけど、1回も止まらずに頑張れたことは自信になる」と振り返っています。

中学・高校時代の部活動とスポーツエピソード
清水麻椰は中学時代にバスケットボール部、高校時代は兵庫県立夢野台高校の女子サッカー部に所属していました。サッカー部ではセンターバックとして兵庫県大会準優勝を経験するなど、運動能力の高さが際立っていました。

大阪マラソン挑戦前の体力測定では、コーチから「今まで見てきたアナウンサーの中で持久力が一番高い」と評価されるほどで、学生時代のスポーツ経験がマラソン完走にも大きく生かされた形です。

このように、清水麻椰は学生時代からスポーツに打ち込み、その経験と精神力が、アナウンサーとしてのチャレンジ精神や粘り強さにもつながっています。

夢野台高校サッカー部時代の思い出

兵庫県大会準優勝の快挙
清水麻椰は兵庫県立夢野台高等学校在学中、女子サッカー部に所属し、センターバックとして活躍しました。夢野台高校女子サッカー部は県内でも強豪校として知られており、清水は在学中に兵庫県大会で準優勝という輝かしい成績を収めています。この快挙は、部員たちが一丸となって練習に励み、チームワークを発揮した成果でした。

サッカー部で学んだことと現在への影響
サッカー部での経験を通じて、清水は「文武両道」の精神や、仲間と協力する大切さ、困難に立ち向かう粘り強さを身につけました。ポジションがセンターバックだったこともあり、守備の要としてチームを支える責任感や、冷静な判断力も養われました。

また、部活動に打ち込む中で「コツコツと継続することの大切さ」や「最後まで諦めない姿勢」を学び、これはアナウンサーとしての挑戦や、マラソン完走といった仕事・人生の様々な場面で活かされています。清水自身、「自分に負けたくない」という強い意志や、仲間とともに目標を追いかける楽しさは、サッカー部時代の経験が原点だと語っています。

清水麻椰のこれからと夢

アナウンサーとしての目標
清水麻椰は「この人の言葉なら信じよう」と思ってもらえるアナウンサーを目指しています。バラエティから報道まで幅広いジャンルに対応できることを理想とし、地元関西から全国ネットの番組でも活躍する存在へと成長しています。憧れのアナウンサーとして元フジテレビの三田友梨佳を挙げており、「何でもやりたい」というチャレンジ精神を持ち続けているのが特徴です。

今後も、視聴者に信頼される発信力と、情報の本質を伝える力をさらに磨き、MBSの“顔”としてだけでなく、全国区で活躍できるアナウンサーを目標にしています。

プライベートや趣味について
プライベートでは、友人や家族、アナウンサーの後輩たちと過ごす時間を大切にしており、休日にはBBQやテーマパーク(USJ)のイベント、映画・アニメ鑑賞、自宅でのんびりゲームをするなど、リラックスできる時間を楽しんでいます。

また、学生時代から旅行が好きで、11カ国を訪れた経験もあり、好奇心旺盛な性格です。ミュージカル鑑賞やアニメも趣味の一つで、日々のリフレッシュやインスピレーションの源になっています。

このように、仕事とプライベートのバランスを大切にしながら、今後も幅広い分野で活躍していくことが期待されています。

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