上原ひろみの生い立ち

出生名 上原 ひろみ
別名 Hiromi
生誕 1979年3月26日(46歳)2025.06時点
出身 静岡県浜松市
学歴 浜松市立追分小学校 浜松市立蜆塚中学校 静岡県立浜松北高等学校 法政大学法学部中退
バークリー音楽大学卒業
配偶者 ミハラヤスヒロ (2007年から)
ジャンル ジャズ、フュージョン
職業 ピアニスト、キーボーディスト
担当楽器 ピアノ、キーボード
活動期間 1986年 ~
レーベル テラーク・ユニバーサル
事務所 Ellora Management
浜松での幼少期
上原ひろみは1979年、静岡県浜松市に生まれました。幼少期は「ちびまる子ちゃんみたいな感じ」と自身が語るほど、ごく普通の子ども時代を過ごしています。ピアノを始めたのは6歳のときで、同時にヤマハ音楽教室の幼児科にも通い始めました。母親の「この子は音楽が好きそうだな」という直感から、地元のピアノ教室にも連れて行かれたのがきっかけです。
ピアノのレッスンはバイエルやツェルニーなどクラシックの基礎から始まりましたが、8歳のときにジャズ好きの先生と出会い、オスカー・ピーターソンやエロール・ガーナーのレコードを真似して弾くようになり、ジャズのリズムや即興演奏に触れました。また、ヤマハ音楽教室のジュニア専門コースでは作曲にも取り組み、毎週1曲ずつ作る課題を楽しんでいました。
家族と音楽環境
上原の家庭は特別に音楽教育に熱心だったわけではなく、両親も音楽関係の仕事をしていたわけではありません。家では「夕食の時には音を消しなさい」と言われるような、音楽が日常に溶け込んだ普通の家庭でした。おばあちゃんは美空ひばり、父は吉幾三、母はテネシー・ワルツを口ずさむといった、多様な音楽が自然に流れる環境で育ちました。
母親は自身が子どもの頃にピアノを習いたかった思いがあり、その夢を娘に託した面もあったようです。家族は上原を他の子どもと比べることなく、本人の個性やペースを大切にして見守っていました。こうした温かく自由な家庭環境が、上原ひろみの豊かな感性と音楽的な創造力を育む土台となりました
疋田範子との出会いと幼少期の音楽教育
ヤマハ音楽教室と疋田範子先生
上原ひろみは6歳からヤマハ音楽教室に通い始め、ピアノを本格的に学び始めました。そこで出会ったのが、疋田範子先生です。疋田先生はヤマハ音楽教室のシステム講師を経て、個人ピアノ教室も主宰しており、浜松で多くの音楽家を育ててきた存在です。上原は幼少期から疋田先生のもとでレッスンを受け、基礎的なピアノ技術だけでなく、音楽の楽しさや自由な表現も学びました。
色彩感覚を取り入れた独自のレッスン
疋田範子先生のレッスンの特徴は、色彩感覚を取り入れた独自の指導法にありました。たとえば楽譜のフレーズごとに「赤を弾いて」「青を弾いて」など色鉛筆で印をつけ、音楽の感情や雰囲気を色でイメージさせる工夫をしていました。この方法により、上原は音楽を単なる音の並びとしてではなく、情景や感情を伴った立体的なものとして捉える力を身につけました。
また、基礎練習のハノンに飽きてしまった上原に対し、疋田先生は「ハノンをスウィングして弾いてみたら?」と提案。これがきっかけで、上原は自分で和音をつけたり、リズムを変えて遊ぶようになり、ジャズへの興味や即興性も育まれていきました。
作曲・アンサンブル体験と表現力の芽生え
疋田先生のレッスンでは、毎週1曲ずつ短い作曲課題が出されました。上原は五線譜に自分で音符を書き、自由にメロディを作ることを楽しみました。さらに、小学校の音楽会ではクラスメイトに楽器を割り振り、自らアレンジした組曲をプロデュースするなど、幼い頃からアンサンブルや音楽監督的な体験も積んでいます。
こうした経験を通じて、上原ひろみは「音楽で自分を表現する楽しさ」や「みんなで音を合わせる喜び」を体感し、豊かな表現力と創造性を育んでいきました。
ジャズとの出会いと転機
8歳でのジャズ体験と即興演奏
上原ひろみがジャズと出会ったのは8歳のときでした。クラシックピアノのレッスンを受けていた彼女は、ピアノの先生がジャズ好きだったことから、エロール・ガーナーやオスカー・ピーターソンといったジャズピアニストのレコードを聴くようになります。最初はLPレコードを耳コピして弾くことから始まり、クラシック曲(モーツァルトやハイドンなど)でも先生の勧めで即興演奏を試すようになりました。
この時期の上原にとって、ジャズとの出会いは「新しい言葉を手に入れたような感覚」だったと語っています。リズムや雰囲気、自由な表現の面白さに惹かれ、即興演奏の楽しさを体感していきました。当初は「リズムが楽しい」「この曲が面白い」といった純粋な興味から、だんだんと即興音楽の本質を理解し始めたといいます。
ピアノの先生が与えた影響
上原ひろみのジャズへの道を切り開いたのは、まさにピアノの先生の存在でした。先生はクラシックの基礎をしっかり教えつつも、ジャズLPのコレクションを惜しみなく聴かせてくれました。エロール・ガーナーのアルバムを一緒に聴き、上原が強い関心を示すと「即興してみる?」と提案し、クラシック曲のフレーズを使って自由にアレンジすることを勧めました。
また、耳コピやアレンジ、即興演奏の楽しさを教えてくれたことで、上原は「音楽で自分を表現する」ことの面白さを早い段階で知ることができました。先生の情熱と自由な発想が、上原の創造性や独自性の原点となっています。
このような経験を通じて、上原ひろみはジャズの即興性や自由な音楽表現に目覚め、後の国際的な活躍へとつながる音楽的基盤を築いていきました。
飛躍のきっかけ~チック・コリアとの共演
17歳での運命的な出会い
上原ひろみにとって、世界的ジャズピアニスト「チック・コリア」との出会いは、まさに人生を変える運命的な出来事でした。1996年、上原が17歳のとき、浜松市で開催されたヤマハのイベント「JOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)」で、彼女は自作曲を演奏する機会を得ます。そのコンサートにゲストとして登場したのがチック・コリアでした。
リハーサルの際、チック・コリアは上原の演奏を聴き、その才能に強く惹かれます。そして本番では、なんと彼自身が「一緒に即興で演奏しよう」と上原に声をかけ、2人で即興セッションが実現しました。世界的巨匠との共演は、当時高校生だった上原にとって信じられないほど貴重な体験となり、彼女の音楽人生の大きな転機となりました。
共演がもたらしたキャリアの転換点
チック・コリアとの共演は、上原ひろみにとって「自分の音楽が世界に通じる」という自信と確信をもたらしました。チック・コリアは上原の演奏を絶賛し、「君は世界に出るべきだ」と励ましの言葉を送ります。この出会いがきっかけとなり、上原は本格的にプロの道を志すようになりました。
さらに、チック・コリアとの交流はその後も続き、上原がバークリー音楽大学に進学した際には、コリアが推薦状を書いてくれたというエピソードも残っています。チック・コリアの存在は、上原にとって「世界基準の音楽家」を目指す大きな指標となり、彼女の音楽的な視野を一気に広げる原動力となりました。
この運命的な共演を経て、上原ひろみは世界を舞台に活躍するジャズピアニストへの道を歩み始めることとなります。彼女の飛躍の裏には、チック・コリアとの出会いというかけがえのない経験があったのです。
バークリー音楽大学時代
主席卒業までの道のり
上原ひろみは1999年にマサチューセッツ州ボストンのバークリー音楽大学に留学し、ジャズ作曲科およびCWP(Contemporary Writing & Production)科で学びました。在学中からライブハウスや地元レストランでの演奏活動、デモテープ制作など、実践的な経験を積み重ねています。彼女の才能は教授陣にも高く評価され、卒業を目前にしてアメリカのジャズ名門レーベル「テラーク・レコード」と契約、デビューアルバム『アナザー・マインド』をリリースするという快挙を成し遂げました。
2003年、バークリー音楽大学を首席で卒業。日本人としては小曽根真に続く快挙であり、卒業式ではバークリーで最も名誉ある賞の一つであるビルボード寄贈奨学金も授与されています。
世界基準の音楽教育と成長
バークリー音楽大学では、世界中から集まる優秀な学生たちと切磋琢磨しながら、作曲・編曲・演奏・即興など幅広い分野を学びました。上原はクラシックとジャズの両方の素養を活かし、ジャンルを超えた独自の音楽性を磨いていきます。教授や仲間からの刺激、国際的な環境の中での経験が、彼女の表現力と創造性をさらに高めました。
卒業後は、国内外で数々の賞を受賞し、世界的なジャズピアニストとしての地位を確立。バークリー時代の学びと経験が、現在のグローバルな活躍の礎となっています。
プロデビューと世界的活躍

アルバム『ANOTHER MIND』での鮮烈デビュー
上原ひろみは、2003年に世界デビューアルバム『Another Mind』をアメリカの名門ジャズレーベル「テラーク」からリリースし、鮮烈なプロデビューを果たしました。このアルバムはバークリー音楽大学在学中に録音され、卒業を待たずしてのデビューという異例の経歴です。全曲が上原自身の作曲によるもので、強烈なタッチと夢見るようなリリシズム、そしてジャンルの枠を超えた新しい感性が高く評価されました。プロデュースにはアーマッド・ジャマルやリチャード・エヴァンスといった著名な音楽家が名を連ね、世界中のジャズファンや評論家から注目を集めました。
ジャズピアニストとしての進化と挑戦
デビュー後、上原ひろみはテクニカルな演奏力と独自の音楽性で、従来のジャズピアノのイメージを大きく覆しました。クラシック、ロック、フュージョンなど多様なジャンルを自在に取り入れ、変拍子や即興性を駆使したダイナミックな演奏スタイルを確立。その後も次々とアルバムをリリースし、トリオ編成やソロ、世界的アーティストとの共演など、常に新たな表現に挑戦し続けています。
世界各地でのライブと国際的評価
上原ひろみはデビュー直後から世界各地のジャズフェスティバルやコンサートに出演し、圧倒的なライブパフォーマンスで国際的な評価を獲得しました。アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどで精力的にツアーを行い、各地の観客やメディアから絶賛されています。こうした活動を通じて、上原ひろみは現代ジャズシーンを代表するピアニストとして、確固たる地位を築きました。
現在の活動と新たな挑戦

. 最新プロジェクトとコラボレーション
上原ひろみは、2025年4月に新アルバム『OUT THERE』をHiromi’s Sonicwonder名義でリリースしました。今回のプロジェクトは、アドリアン・フェロー(ベース)、ジーン・コイ(ドラム)、アダム・オファリル(トランペット)という気鋭のミュージシャンと結成した4人組バンドで、エレクトリック色の強いサウンドとダイナミックな演奏が特徴です。また、2025年11月から12月にかけて全国17公演の大規模ツアー「Hiromi’s Sonicwonder JAPAN TOUR 2025 “OUT THERE”」を開催し、最新作を携えて日本各地でライブを展開します。
『OUT THERE』には、デビューアルバムの代表曲「XYZ」の最新バージョンや、4曲構成の組曲「OUT THERE」、上原のラーメン愛をテーマにした「Yes! Ramen!!」など、多彩な楽曲が収録されています。近年は矢野顕子とのライブアルバムも発表し、ジャンルや世代を超えたコラボレーションも積極的に行っています。
“SAVE LIVE MUSIC”など社会的活動
上原ひろみは、コロナ禍以降「SAVE LIVE MUSIC」など音楽と社会をつなぐ活動にも力を入れています。ライブハウスや音楽業界の支援、音楽文化の継承を呼びかけるメッセージを発信し、ピアノ演奏を通じて多くの人々に勇気と希望を届けてきました。
ファンと音楽へのメッセージ
上原ひろみは常に「音楽で人とつながること」「演奏を通じて心を届けること」に情熱を注いでいます。最新インタビューでも「とにかくずっとピアノを弾いていたい」「未知の世界に挑み続けたい」と語り、ファンに向けて「ライブで直接エネルギーを伝えたい」という強い思いを表明しています。彼女の音楽は、国境やジャンルを超えて多くの人々の心を動かし続けています。
現在の活動と未来の挑戦について、どんな新しいコラボを計画しているか
上原ひろみは現在、Hiromi’s Sonicwonderという新プロジェクトを中心に、ジャンルや国境を超えたコラボレーションを積極的に展開しています。Hiromi’s Sonicwonderは、アドリアン・フェロー(ベース)、ジーン・コイ(ドラム)、アダム・オファリル(トランペット)という気鋭のミュージシャンと結成したバンドで、2025年4月には新アルバム『OUT THERE』をリリースし、同年11月からは全国17公演の大規模ツアーも予定されています。
最新作『OUT THERE』では、シンガー・ソングライターのミシェル・ウィリスをフィーチャーしたヴォーカル入り楽曲も収録されており、これまでのインストゥルメンタル主体の活動からさらに表現の幅を広げています。
また、2025年春には矢野顕子とのジョイントライブツアー「Step Into Paradise」も実施し、日本を代表するアーティスト同士の豪華なコラボレーションが話題となりました。
今後も、ジャンルや世代を超えた国内外アーティストとの共演や、エレクトリック色の強い新しいサウンドへの挑戦、さらにはボーカルとのコラボレーションなど、上原ひろみは常に「新しい冒険の旅」に出る意欲を持ち続けています。今後のプロジェクトやコラボの詳細は未発表ですが、彼女自身が「好奇心と挑戦が音楽の原動力」と語っており、予想を超える新しい化学反応が期待されています。
彼女が「音速の宝島」と表現した新作にはどんな意味が込められているのか
上原ひろみが新作『OUT THERE』を「音速の宝島」と表現した背景には、未知の音楽的冒険と発見への強い意志が込められています。彼女はこのアルバムについて、「まだ誰も行ったことのない場所へ、音楽という船で仲間とともに旅をする」というイメージを持って制作に臨んでいます。
この“宝島”は、決して地図に載っていない新しい音楽の世界や、聴いたことのないサウンド、予想を超えるアイデアの象徴です。上原自身が「音楽の冒険家」として、バンドメンバーとともに高速で駆け抜けながら、音楽の宝物を探しに行く――そんなワクワクと挑戦の精神が「音速の宝島」という言葉に込められています。
また、アルバムには新たなバンド編成やエレクトリックな要素、ボーカルとのコラボレーションなど、これまでにない多彩な試みが詰め込まれており、まさに“音楽の宝探し”とも言える内容です。
この表現は、上原ひろみが音楽を通じて常に新しい地平を切り開き、聴く人を未知の世界へと連れていくという、彼女の創造性と冒険心の象徴となっています。
まとめ~天才ピアニスト上原ひろみの軌跡と未来
上原ひろみは、幼少期からの豊かな音楽教育と独自の感性、そして世界的な経験を積み重ね、今や現代ジャズ界を代表するピアニストとなりました。常に新しい挑戦を続け、最新プロジェクトや社会的活動を通じて音楽の可能性を広げています。これからも進化を止めず、世界中のファンに感動とエネルギーを届けていくことでしょう。